PERSONAL PROFILE
榎本了壱
RYOICHI ENOMOTO
クリエイティブ・ディレクター、プロデューサー。
クリエイティブディレクター、プロデューサー、
書畫家(光達)、俳人(バソン)、エノ切子師(蝸牛)。
株式会社アタマトテ・インターナショナル代表。
京都造形芸術大学大学院客員教授。
日本文化デザインフォーラム理事。
全国税理士共栄会文化財団助成芸術活動分野選考委員長。
日本ダンスフォーラムボードメンバー。かいぶつ句会同人代表。
青森県立美術館パフォーミングアーツ推進実行委員会委員長。

著書
『ダサイズムの逆襲』『御教訓大全』『御教訓大語海』『アートウイルス』『アーバナートメモリアル』『御教訓カレンダー』1976〜現在(パルコ出版)『アーバニズム宣言』『バッド・シティの快楽学』監修(TOTO出版)『榎本了壱のアイディアノート・脳業手技』(マドラ出版)『江戸東京をつくった偉人鉄人』 荒俣宏・共著(平凡社)『日本語遊び・俳句の一撃』かいぶつ句会・共著(講談社)『おくのほそ道・裏譚』(新風舎)『タタラ風の町』(頭手舎)劇句×掌篇『春の画集』(新風舎)『東京モンスターランド』(晶文社)『川を渡る』(かいぶつ書店)『少女器』(かいぶつ書店)『佛句』(かいぶつ書店)『金魚糞集』(かいぶつ書店)『イロハニ鳥獣圖鑑」(かいぶつ書店)『つきはひがしに』(かいぶつ書店)『エノ切子 手の中の官能』(TOLOT)、『書畫 高丘親王航海記』ほか。 

略歴
1947年東京生まれ。武蔵野美術大学造形学部卒業。
1962年二科展商業美術部門最年少入選。
1965年詩集『粘液質王国』上梓。
1968年『季刊FILM』(フィルムアート社)の編集デザインにかかわる。
1969年渋谷天井桟敷館のデザインを粟津潔氏と製作。『季刊地下演劇』(寺山修司責任編集)の編集デザインにかかわる。
1971年寺山修司監督作品「書を捨てよ町へ出よう」美術担当。天井棧敷ヨーロッパ公演美術監督。個人映画の制作を始める。
1973年パリで『AMICA』(文化出版局)の特派記事を1年書く。オランダ、ドイツ等で映像展。
1974年月刊『ビックリハウス』(パルコ出版)を萩原朔美と創刊。以降、編集、出版、文化イベント、TV番組制作等の仕事を展開。
1980年『日本グラフィック展』『オブジェTOKYO展』『URBANART』などを1999年までプロデュース。日比野克彦、タナカノリユキなど、多くの新人を輩出する。
1984年『美の世界』(日本テレビ)『マルチスコープ』(NHKテレビ)司会。
1986年株式会社アタマトテ・インターナショナルを設立。

以後は「ATAMATOTE WORKS CHRONICLE」を参照。

      
PERSONAL WORKS

俳句・エッセイ「つきはひがしに」

LINKS

萩原朔美 web site